髪型変遷史

5歳違いの弟が白髪染めをやめて3カ月。自然な感じでけっこう似合っている。まだ途上なので、染めていた部分が伸び、あと1、2回ヘアカットすればグレイヘアの出来上がりか。「娘も大人になったし、染めるのが面倒になった」というのが理由だ。わたしも還暦を過ぎたころから、グレイヘアへの移行を意識し、行きつけのヘアサロンの店主に相談したところ、「グレイヘアになるまで大変です。まだ、先でもいいと思いますよ」と言われて、そのまま白髪染めを続行中である。それでも、グレイヘアに移行するX年をいつにしようか、などと大げさなテーマが頭をもたげている。
つい先日も「白髪染め、いつ止めようかと考え中なんだけれど、どうする?」と3歳下の友人に問いかけたところ、「わたしはまだ考えていない」という返事だったので、保留となってしまった。
わたしが白髪を意識したのは、30代後半だったか。当時もショートヘアだったわたしは風で前髪が吹き上がると隠れていた白髪部分が丸見えになるため、手で押えていた記憶がある。年下の友人たちに「前髪だけでも染めたら?」と言われることたびたびだったが、どうも染めることに抵抗があり、自然にまかせようなどと意固地にもなっていた。しかし、そんなわたしもついに観念して白髪染めに手を染める?こととなった。40歳だった。風に吹かれなければ、白髪はほとんど見えない状態だったが、ひとたび強い向かい風などに見舞われ、また鏡を見ながらさまざまな方向から髪の毛をかき上げると白髪が増えているのに気が付き、染めようと決心したのだった。本当は母のように自然にまかせた白髪になりたかったのだが、やはり、自分には無理だと思い、多少の女心も働き、生まれて初めての毛染めとなったしだい。ブラウンではなく、ブラックに染めることで、なんというか人をだましているような感じもした。染めてまもないころは、白髪頭の先輩から「きみは白髪がないね。黒々しているなー」などと言われ、「染めています」と言うタイミングを逃して、そのままやり過ごしたこともあった。年を重ねるごとに、周りの女性たちも白髪染めをしていることに気がつき、だからといって、あえて白髪染めを話題にすることもなく、それもまた自然なことだった。

母は30代後半から白髪が目立つようになり、一度だけ染めたことがあったらしいが、「白髪を染めるな。自然でいいんだ」と父に言われ、それ以降は自然にまかせたショートヘアで通した。綺麗な白髪だった。母の9歳下の妹も母をまね、また「大宅映子や加藤タキのようになりたい」と白髪を染めずに今日に至っている。いまはショートヘアではなく、引っつめにしているのだが。
かつて白髪を染める決心をしたように、黒髪をやめる決心をしたいのだが、それは、いつのこと?と自分に問いかけてみる。「女の場合は急いで白髪にならなくてもいいのではないかな」とは弟の弁だが、ここで性差の悲哀などを感じてしまうのだった。 グレイヘアになるまで1年くらいはかかりそうだ。もちろん現在のショートヘアのままの白髪。そこで、わたしの髪型変遷史も終わりとなるはずだ。

髪型変遷史.......。思えば、いろいろな髪型をしてみたが、結局、ショートヘアの時期が一番長かったと思う。延べ30年か。友人に「札幌にいたころの龍田さんって、どんな髪型だったかしら」と言われ、30数年前の遠い昔を思い出してみた。あのころ、映画「フラッシュダンス」のヒロインのような髪型だったり、アシンメトリーのショートヘアだったり、伸びた髪を一本に編み込んだり、ボブにしたりと、様々に変化していた時代でもあった。二度目の上京をしたときはロングヘアにしたり、ソバージュにしたり、肩までの髪をいきなり、ショートにしたりと....。
そして、いまでは笑い話になってしまったが、<初めてのパーマ>は散々だったことを思い出す。22歳とき、わたしは友人と一緒に初めてパーマをかけた。どうせなら、大変身しようということで、ベリーショートにしてパーマをあてた。出来上がりを鏡に見て、あまりの変わりようでびっくりした。友人は大仏のようになってしまい、わたしはリーゼントヘアにように。当然、母は驚き「似合わないこともないけれど、ずいぶん思い切ったわね」と言われ、夜遅くに帰宅した父などはわたしを見るなり、「わああー、なんだ、その髪は。不良だ、不良だ、もう寝る!」と怒ってしまったのだった。
それが思いつくままの髪型変遷史である。
あとは、変遷史の最後を飾るグレイヘアというか、白髪頭を敢行するX年について検討するだけとなってしまったのだった。

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