2012年、わたしは辰年女

「へえー、タツ年生まれのタツタ! じゃー、タツタツだ!」と無理な韻を踏まれ、そうあだ名されていた時期がある。というか、こちらが辰年と知るや、「タツタツ!」と呼ばれることがたびたびあったのだ。世の中には、辰年に生まれたことから、「龍」「辰」の一文字を名前に当てられた人はけっこういるようだ。真っ先に思い浮かぶのが、自分と同じ1952年生まれの村上龍と坂本龍一。村上龍の本名は龍之介。調べてみると、中里介山「大菩薩峠」の机龍之助にちなんでいるという。芥川龍之介も辰年生まれである。
 その伝からいくと、わたしも龍子、若しくは辰子であってもおかしくないのだが、如何せん、龍田である。「たつたたつこ」と声に出してみると、どうも言いにくい。それでは、子どもが不憫であると、親が心配したのか。いやいや、結婚して姓がかわるまで辛抱してもらおうか、などと迷ったわけでもないだろう。辰年に生まれるべくして生まれた、それでちょうどいいのだ。そういえば、母方の祖母も辰年生まれだったことを思い出す。

 二十代半ば、わたしはその祖母のすすめで見合いをさせられたことがある。相手は某建設会社の研究員。わたしよりも3歳上。冬の札幌でのことだった。
 見合いといっても本人同士で食事をするというものだったので、いやいやながらも気楽に構えていた。ところが、叔父が経営する寿司店に現れた相手は母親同伴だった。とても元気な母親で、一人で喋っていた。
「あなた、英語を話せる? 息子はアメリカに転勤もあるから、英語できたほうがいいのよ」
「まったく、話せません」となぜかハキハキ答えるわたし。
「あら、そう。でも、これから勉強すればいいわね」といった調子。
「あなた、辰年なのね。あなたのおばあちゃんも辰年よね。実はわたしも辰年なのよ。辰年の女は気が強いのよー」ときたので、わたしはびっくり。母親の隣で、細面にメガネの息子は静かに笑っていた。
 お寿司を食べたあと、「あなたがた、いろいろお話があるでしょうから、二人でお茶を飲みにいったらいいわよ」という母親の計らい?があり、息子は「いい喫茶店を知っているので行ってみましょう」ということになった。「わたしも喫茶店の前までいっしょに行く」と言う彼の母親と三人で叔父の店を後にした。
 歩道には積み上げられた雪の山があり、3人は横並びになれないので、わたしと息子、後ろに母親という具合に歩いた。途中、わたしはすべって転びそうになった。すると、母親が息子に向かって「ほら、あなたがしっかり女性を支えてあげないとー」と言ったあとから「あなたの細い体では無理ねー」などと付け足したので、こちらは思わず笑ってしまった。
 目的の喫茶店の前で母親と別れ、二人で店内に入った。今となってはその喫茶店がどこにあったのかまるで記憶にないのだが、ジャズが流れていた。
 彼はジャズが好きだと言った。わたしはロックが好きだと言った。スキーはスイスに滑りに行くのだと聞かされたわたしは、ふーん、ニセコで十分なんだけれどなーと思っていた。そして、お酒はあまり飲めないという彼に対して、わたしは「ほどほどに、たしなむ程度に」などと柄にもない言葉を引っ張り出していた。小一時間、話した内容はその程度しか思い出せない。
 後日、祖母から電話があり、「先方はもう一度会いたいと言ってきているけど、どうする?」と聞いてきたので、わたしは「うーん、あまり気が進まないっす。それに、まだ結婚、したくないし」と返事をした。
「はいはい、急なお見合いで、悪かったねー。ま、一度はこういう経験もいいでしょ」
 辰年生まれの祖母はそう言って笑った。
 2年後、祖母から彼が結婚してアメリカ支社の研究所に転勤したという話を聞いたのだった。

 村上龍も坂本龍一も1月生まれなので、ひと足先に彼らは60歳になったわけで、なんていうか信じられない気持ちでいっぱいだ。
 思い起こせば2000年、自分が辰年女になったとき、ひと回り上の王さんやアラーキーは還暦を迎えた。ジョン・レノンも生きていれば還暦だった。おお、もうそんな年齢になるのか、とショックを受けたものだった。しかし、あれから12年、ついにわたしが還暦だ。逃げも隠れもできないこの現実をあっさりと受け入れる。そして、一日一日を大切に生きていきたいとも思う。
 昔、小学6年のころ、今日という日を忘れずにいるために、いつでも思い出せるように、その日の出来事を事細かに父からもらったダイアリーに書き記していた。親に叱られたこと、弟と喧嘩したこと、友だちとのこと、学校であったことなどはもちろん、三食のメニューまで付け加えていたことを思い出す。子どもながら「死」について考え、この世から自分が消えてしまうということを想像すると、怖くてたまらなかったころだった。一日一日を大切にしたいというよりはむしろ、どんな一日でも忘れたくないという切実な思いがあったらしい。長じてからは、忘れることも必要であると知っていくのだが...。

 一瞬一瞬のつながりが60年の人生であり、今日まで生きてこられたことに、有形無形すべてのものに感謝したいと思う2012年の1月である。
 ふと、シニア料金で映画鑑賞ができることに気づいて、うれしくなった。半年後、免許証を提示して堂々1000円で好きな映画を観せてもらおう。

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