リトル・ダンサー
(2000年/イギリス)

 13年前に公開されたときに見逃してしまい、その後、DVDでも観ることのなかった「リトル・ダンサー」だが、2013年2月にBSで放送されていたので一応録画をしておき、ずいぶんと経ってから観てみたところ、これが思いがけないほど刺激的で、目からウロコだった。母とともに2日続けて観たあげく、ブルーレイにも録画した。この作品については、いつか長い感想文を書いておきたいなと思っているうちに、本年2月に再びBSで放送された。またまた、母とともに観てしまい、やはり書かずにはいられなくなったのである。

 1984年のストライキに揺れるイギリス北東部の炭坑町を舞台に、炭坑で働く父と兄のトニー、祖母の4人で暮らす少年ビリーがバレエダンサーを目指し、町を飛び立っていく物語だ。原題は主人公の少年のフルネームをそのまま当てた「Billy Elliot」と素っ気ないが、実に味わい深い異色のサクセス・ストーリーだ。
 監督は「めぐりあう時間たち」(2002年/米)や「愛を読むひと」(2008年/米・独)といった秀作を生み出したスティーブン・ダルドリーで、彼の長編映画のデビュー作になる。たとえ低予算でも、すぐれた脚本と演出と音楽と撮影、キャスティングの妙で、こんな素敵に仕上がるのだということを如実に物語っている。

 冒頭、いきなりT.Rexのアルバム「Electric Warrior」(邦題『電気の武者』)のレコード・ジャケットが登場し、これだけでわたしの胸は高鳴った。華奢な手がレコードを取り出し、おそるおそる盤に針を落とすが、曲の頭出しに失敗し、再度、慎重に針を落とす。カメラは手の表情を捉え、緊張の息づかいが伝わってくる。
「Cosmic Dancer」が流れると同時に、カメラは少年がベッドの上で飛び跳ねて踊る様子をスローモションで映し出し、身体の各部をアップでとらえる。少年は1曲目の軽快なテンポの「Mambo Sun」ではなく、2曲目のこれを聴きたかったのだ。
 マーク・ボランが静かにスローテンポで歌う。それはこんな歌詞だ。「僕は12歳で踊っていた 生まれてすぐに踊った 変なのかな 外に出ると踊っていた 8歳のときも踊っていた」と.....。これが物語の序章であり、少年ビリーの気持ちを象徴している。
「Cosmic Dancer」に乗って、ビリーの朝の光景が繰り出される。自分でトーストを作り、ゆで卵2個と薬瓶を乗せたトレーを祖母の部屋に運ぶ。それが彼の役割だ。しかし、そこに祖母の姿はなく、あわてて外に飛び出して、祖母を探す。母を失ってからそれほど日は経っておらず、遺された者たちが支え合う日常のひとこまだ。
 その日の終わりに、ビリーが聴いた「Electric Warrior」は年の離れた兄トニーの愛聴盤だったのかと、こちらは合点する。ヘッドホンで聴く兄は微妙な音の変化に顔をゆがめ、「レコード、かけたな」と隣のベッドで寝ているビリーを叩く。身に覚えのある兄弟のシーンに、なぜか郷愁を感じた。

 兄の影響で、ビリーも音楽が好きだ。T.Rexの曲を聴いているうちにダンスの楽しさに目覚め、いつも踊りたくて仕方がないのだが、「男はボクシングで逞しくなれ」という父の厳命により、ボクシングを習わされているという皮肉。そもそも父はボクサーのライト級チャンピオン、ケン・ブキャナンの大ファンで、息子を彼のような選手に育て上げたいのだ。しかし、ビリーはボクシングに馴染めず、練習にも身が入らないし、試合にも負けてばかりだ。彼に好意を寄せる?友人のマイケル(まるで少女のよう)がビリーに向かって「殴り合うだけで、くだらない。そのグローブもお古じゃないか」などと言う。
 ある日、バレエ教室の練習がボクシングホールの片隅で行われることになる。チュチュをつけた少女たちと優雅な音楽。ビリーの目と耳はどうしてもバレエのほうへと吸い寄せられ、何やらサンドバッグ打ちも弱々しくなってしまう。
 そんな彼はバレエ教室のウィルキンソン先生に声をかけられて、飛び入りでレッスンに参加することになる。基本動作に手こずりながらも、ビリーの心は踊った。夢中になった。少女たちにまじってレッスンする少年の姿は白鳥の群れに迷い込んだアヒルのようで少しばかり滑稽なのだが、何とも言えず微笑ましい。
 ビリーがボクシングの練習をさぼってこっそりバレエのレッスンに通う一方で、兄は炭坑のストライキに参加している。その対照的なシーンを交互に映し出す演出がいい。しかし、ついにボクシングをさぼってバレエに熱中していることが、父の知るところとなるのだ。バレエ教室に息子を発見した父は激怒。「ボクシングの月謝を無駄にして、なんで、男がバレエなんだ」。ビリーも「どうしてバレエがだめなの?」と負けていない。そんな息子が父にはまったく理解できず、また別の不安もよぎったりしたのかもしれない。
 ビリーはバレエ教室に通うことを禁じられるが、彼の素質を伸ばしてあげたいとするウィルキンソン先生にロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けることをすすめられ、個人レッスンに通うことになるのだ。先生にはビリーと同じ年頃の娘デビーがいて、これがまた、ビリーを挑発したり、ませた口をきく女の子で、母についても「ママはパパが浮気していたから欲求不満なのよ」などと平気で言う。両親を客観的に分析するデビーもまた寂しい思いをしているのだろう。
 煙草を吸いながらバレエの指導をするウィルキンソン先生は疲れた様子で、どこかで自身の人生をあきらめ、惰性で生きているような感じだが、ビリーとは真摯に向き合っているのがわかる。演じるジュリー・ウォルタースが秀逸!母のいないビリーにとっても彼女の存在は大きいのだ。

 父や兄に内緒で受けるつもりだったオーディションの前日、ストライキ中の炭坑労組と警官隊の衝突で兄トニーが逮捕されるという不運に見舞われる。このシーンに流れるのはCrashの「Rondon calling」で、つい、ニヤニヤしてしまった。
 翌日、ビリーは父とともに兄を警察に迎えにいくため、オーディションを受けることができなくなってしまう。ここで、ウィルキンソン先生はビリーの父や兄にも彼にロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けさせることをすすめるが、断固反対されるのだ。
 ビリーは自分の家が金銭的に苦しいゆえ、ダンスをあきらめるしかないと感じているし、父は父で厳しい現実と闘いながら、息子にボクサーの夢を託していたはずなのに、本人がダンサーになりたいと知って、ジレンマに陥る。
 父の複雑な心境は、クリスマスの日に母が大事にしていたピアノをハンマーでたたき壊すシーンに象徴される。ありったけの怒りをぶつけるかのように、父はハンマーをふりあげ、ピアノを解体していく。その様子をビリーは悲しそうに見つめる。父も子どもも、そしてピアノも痛々しい。わけのわからない焦燥と憤怒。それぞれの怒りと無念が無惨に解体され薪と化してしまう。長引くストで収入がなく、薪を買えないほどに家計は逼迫していたのか。
 夜、暖炉にその薪をくべて、「メリークリスマス」とワインの杯を上げて泣く父に、二人の息子と祖母。せつないクリスマスの夜だ。しかし、ここで悲しいだけのクリスマスには終わらせないよとばかりに、監督は粋な計らいを見せるのだ。
 ビリーと友人のマイケルがこっそり誰もいない体育館に忍び入る。ビリーはマイケルに「着てみたいだろう」などと言ってチュチュを渡し、二人は自由に踊り始める。そこへ、ボクシングのコーチからビリーが体育館で踊っていることを知らされた父がやってくる。息子を叱るつもりだったはずが、生き生きと踊る息子の姿を見て、父は心から感動するのだ。これはなんとかして息子の夢を叶えてあげたいと....。

 バレエ学校の費用を稼ぐためにスト破りのバスに乗り込む父。バスの中に父の姿を見つけたピケ中の兄トニーが必死でスト破りを止めようとするが、父は泣きながら「ビリーには未来がある」と言い、トニーと抱き合って泣き崩れる。そしてトニーは父に言う。「金なら何か他に方法がある」と。
 果たして、父は母が遺したネックレスや時計を質屋で換金したり、事情を知った町の人々から募金が寄せられたりと、ビリーの夢の実現のために協力を惜しまない人たちの心意気が伝わってくる。

 ダンスをモチーフにした映画に登場するオーディション・シーンで、真っ先に思い浮かぶのは83年に大ヒットした懐かしの「フラッシュダンス」だ。
 ここで少しばかり個人的な思い出を.......。ヘアカットしてもらっていた美容院で「思い切って、フラッシュダンスのジェニファー・ビールスの髪型にしてはどうか」と勧められ、「はー、そうですね。まー、おまかせします」と美容師にゆだねた。そして、ドキドキしながら鏡に映った自分を見て、恥ずかしくなった。翌日、隣の課の女性課長に「あらー、それフラッシュダンスのつもり?」とからかわれた。31歳の夏だった。
「フラッシュダンス」では、ヒロインが審査員の前で素晴らしいダンスを披露するシーン(吹き替えだったけれど)が、最高の盛り上がりを見せ、いかにもハリウッド映画らしい演出だった。
 こちら、ビリーの場合はどうか。父親同伴でロンドンにあるバレエ学校のオーディションを受けにやってきたビリーは緊張のためか、ぎこちない独創的なダンスを披露したり、控え室で男子をなぐったりで、審査員たちの目には奇異に映ったのかもしれない。しかし、審査員の一人が「最後に聞かせて。ダンスをしているときどんなことを感じるのか?」と質問を向けた。ビリーは「わからない」と答えてからおもむろに「気持ちがいい」とつぶやき、審査員たちは彼を注視する。ビリーは緊張の糸がほどけたのか、「最初は硬いけれど、身体が動き出すと、全部忘れる。消えてしまうみたい」と言い、さらに「身体が変化して火がつく感じ、飛んでいるような感じ。鳥のように、電気のように」と。
 それは、用意していた言葉ではなく、また審査員に向かって答えているのでもない。ビリー自身も気づかなかったダンスへの湧き出る思いが自然に言葉として形になったのだ。おそらく、ほかの誰からも発せられなかった言葉が、審査員たちの心をとらえたのだろう。ビリーが披露したダンスはそのようなものだったのだ。
 合否通知が届くまでの家族の落ち着かない様子や、ビリーが部屋でおそるおそる通知を開封し、書面に目を通して歓喜する様子も繊細に描かれ、脚本の妙味に感じ入ってしまった。
 果たして、ビリーは生まれ育った炭坑町を飛び立っていくのだ。鳥のように.....。

 15年後、成長したビリー(扮するのはロイヤル・バレエのプリンシバルのアダム・クーパー)の舞台を観に来た父や兄、マイケル(ゲイとして生きることを選択していた)たちが見つめるステージへ、鳥のように飛び出すのだ。このエンディングシーンに、冒頭シーンのベッド上で楽しそうに飛び跳ねていたビリーが重なり、感無量となったのだった。

 この映画はサクセスストーリーだが、さまざまな困難に打ち勝って夢をつかむといった熱血の根性物語とは一線を画する。ポイントになるのは、あえて時代を1984年に設定したこと。80年代のイギリスはサッチャー政権の時代だ。新自由主義を掲げ、強い国家を目指す一方、地方経済の不振や失業者の増大で、富裕層と貧困層との格差が拡大した。特に衰退産業とされた炭坑は一部閉鎖、補助打ち切りといった合理化計画案を政府が公表したことに端を発し、1984年4月から翌年3月まで、炭坑閉鎖に反対する組合員による長期ストライキが行われた。しかし、警察の武力行使によって労組は敗北する。
 そんな当時のイギリスの状況を映画はリアルに映し出し、ビリーの家族を軸にそれぞれの人生の断片をすくいあげ、さらに炭坑労働者のコミュニティの誇りも描いている。個々の場面のエピソードの積み重ね方や、シンプルだけれど含蓄あるセリフは、十分に練られたものなのだ。
 ビリーと父や兄との関係は現実的な時間の中でとらえられるが、亡き母との関係は回想シーンで見せるといった手法に頼らず、母の子どもへの思い、子どもが母を慕う気持ちをワンシーンで語る。たとえば、ビリーが母の遺したピアノで音を探るようにして片手で弾くメロディは「My Favorite Things」だ。母の好きな曲だったと想像されて、胸にジーンとくる。また、母が18歳になったときのビリーに宛てた手紙をウィルキンソン先生に声をあげて読んでもらうシーンでは、途中からビリーも諳んじる。そう、ビリーは18歳まで待てずに、母からの手紙を密かに暗記するほど読んでいたことがわかる。深みのあるシーンは、枚挙にいとまがないほどだ。

 優れた映像に音楽がフィットしていることもこの映画の特徴である。もし、T.REXの「cosmic dancer」が存在していなかったら、この映画は生まれなかったのかもしれない。おそらく、監督はこの曲にインスパイアされてストーリーを創ったのではないかと思いたくなるほど、「cosmic dancer」の詞はビリーの心情にフィットしている。T.Rexの曲はほかにも、「Get it on」やビリーとウィルキソン先生が楽しく踊るシーンに流れる「Love to boogie」、「children of the Revolution」「Ride a White Swan」が起用されている。
 The Jamの「Town Called Malice」は、父にバレエを反対されたビリーがいらだちの感情を表現しながら町中を踊るシーンに流れ、これが見事にマッチ。また、Style Councilの「Tumbling Town」と「Shout To The Top」、ラストに流れるEagle Eye Cherryの「Burning Up」など、魅力的な選曲だ。音楽はイギリスの80年代の光と影、支え合う家族、炭坑町で暮らす人々の心情にも寄り添い、効果を発揮している。
 そしてカメラも、ダラムの炭坑町の風景や人々の営みのあらゆるタイミングを逃さず、さりげなく丁寧に映し出す。印象に残るような鮮やかでセンスあふれるカットがいくつも登場するのだ。
「Town Called Malice」が流れるなか、一艘のヨットが浮かぶ青い海が坂道の向こうに広がるのを見たとき、わたしにはそれがビリーの夢の実現を暗示しているように思えたのだった。

 2000人の中から選ばれたビリー役のジェイミー・ベルの表現力が素晴らしい。彼の近況などを調べてみたところ、最新作は近未来SFサスペンス「スノーピアサー」(2013)で、残念ながらこれは見逃してしまった。また、「ジェーン・エア」(2011)にも牧師の役で出ていたことを知って驚いた。こちらは劇場で観たのだが、ビリー少年の面影があったかどうか、いまとなってはその牧師の顔をはっきりと思い出すことができない。当分の間、わたしにとってジェイミー・ベルという俳優は「リトル・ダンサー」のビリーのままなのかもしれない。

 蛇足になるが、本年2月に、ローザンヌ国際バレエコンクールで、日本の高校2年生の男子が優勝したというニュースを知った。彼の父は息子に空手を習わせたかったそうだが、少しだけ「リトル・ダンサー」のエピソードに似ている。おそらく、その快挙に合わせて、BSの放送となったのだろう。

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