人生はビギナーズ
(2011年/アメリカ)

 冒頭、柔らかな陽が差し込む家の中で、父の遺品を整理する息子オリヴァーの姿がとらえられる。主を失った家とはいえ、故人が過ごしていた日常の時間、気配が感じられ、彼の沈痛な表情と山のように積まれたゴミ袋が悲しい。
 ユアン・マクレガー扮するオリヴァーは38歳の独身である。すでに母親もこの世にはいない。父の死後、心を閉ざしたまま、アートディレクターの仕事をこなし、父が遺した愛犬、ジャックラッセル・テリアのアーサーと対話をする日々だ。その愛犬も主人を失って寂しいところだが、憔悴するオリヴァーを見つめる目は優しさに満ちている。「150の単語はわかるけど、喋ることができないんだ」などと愛犬アーサーはオリヴァーに言う(アーサーの言葉は字幕!)。オリヴァーもアーサーの心の言葉がわかる。そう、二人?の会話はとても魅力的だ。
 オリヴァーは友人が誘ってくれたホームパーティで、風変わりな若いフランス人女性アナと出会う。16歳で家を出たアナは自立心があり快活な女性なのだが、自殺願望の父から電話がかかってきても出ないといった陰りも見せる。二人は互いに惹かれ合い、付き合い始めるのだ。
 現在と過去を行き来するカットバックの多用で時間の流れがつかみづらいのだが、オリヴァーが回想するエピソードのひとつひとつが心にしみてくる。オリヴァーの父ハルは、妻が死んだあと、75歳にして自分がゲイであることをカミングアウトした人だった。息子にとっては、まさに青天の霹靂。唖然、呆然。しかし、戸惑う息子に対して、父のほうは過去の自分から解放されて実に晴れやかなのだ。エクササイズに励み、念願の恋人もできる。パーティでは弾けるような笑顔を見せてダンスに興じる。洋服のコーディネートも若々しく、オーバーシャツはボタンを3個外して素肌を見せたかと思うと、Tシャツの首元には派手な柄物のネッカチーフを巻いている。そんな父ハルをクリストファー・プラマーは楽しそうに演じ、アカデミー賞助演男優賞を受賞した。
 親が元気なときには知ろうともしなかったこと、気づきもしなかったことが、親が病気になったとき、あるいは死んだのちに、過去の時間の中からすーっと浮かび上がってくるときがある。オリヴァーも遠い記憶の断片をつなぎ合わせながら、両親の真実の姿、そして彼自身のアイデンティティに気づいていくのだ。父がゲイであることを世間に隠して生きてきたように、母はユダヤ人の血が半分流れていることを隠して生きてきたこと。さらに母は夫がゲイと知りながら結婚したこと。当時(1950年代)、ゲイは病気のように思われていた時代でもあったため、母は父の<病気>を直してあげたいという気持ちで結婚した。しかし、現実は違った。いつしか夫婦間に齟齬が生じ、まるで仮面をつけて生活しているようなものだった。夫婦のあり方が子どもに及ぼす影響は大きい。オリヴァーは父と会話を交わすことはあまりなかったが、母の寂しさを漠然と感じていたのか、奔放でクールな彼女の理解者であろうとしたのか、いつも従順だった。母は子どものオリヴァーを助手席に乗せてこう言う。
「行く方向をあなたが指差して。わたしがドライブするから」と。まるでタクシードライバーと客のようではないか。しかし、笑えそうで笑えない、母の空虚な感じが伝わってくるシーンだ。
 父と母との間にある距離感を早くから感じとっていたオリヴァーは、二人に対して気持ちをストレートに表現することができなかった。言葉にすれば、父や母が困ってしまうのではないだろうかと....。他者の気持ちを率直に聞く前に、すでにその心の中が見えてしまうのだ。
 38歳までそうやって生きてきたオリヴァーは対人関係において、相手の気持ちを知る前に推測してしまうのである。「人の顔を観察しているとわかる。無表情でも心は違う」という台詞が登場するが、おそらく彼は過去の恋愛においても相手とうまくコミュニケートできずに、肝心なところで心を開くことができなかったのだろう。久しぶりのアナとの恋に気分も高揚するが、いざ一緒に暮らし始めると、慣れ親しんだ独身生活のリズムが狂い、互いの気持ちにもズレが生じてしまったと勝手に推測してしまったのか。オリヴァーは再び愛犬と共に一人の生活に戻ってしまう。だがしかし、今度ばかりは様子がちがった。
 オリヴァーはあらためて父の人生をよみがえらせる。当初はカミングアウトした父の変容ぶりが彼の目には奇異に映ったのかもしれない。戸惑いもした。しかし、新しい生活を始めた父のなんと生き生きとした姿であったろうか。父はガンを宣告されたあとも、恋人や仲間たちに支えられながら、限りある命を精一杯生きたのだ。
 自ら殻を破り、新しいステージのドアを開けること。次のステップを踏んだときは誰もが初心者であること。不安もあるが、踏み出さなければ終わらないし、始まりもないということ。それらは、父が息子に伝えたかったことだった。オリヴァーと共にこちらもまた、亡き父の無言のメッセージ、人生の微妙なニュアンスに気づかされるのだ。ハッピーなエンディングが実に爽やかである。
 本作はマイク・ミルズ監督のプライベートストーリーの映画化であり、監督自身の経験が裏打ちされているので細部の描写にリアリティがある。ミルズ監督はオリヴァーの父と母にまつわる過去形のエピソードと、オリヴァーとアナとの現在進行形の恋愛模様を織り交ぜながら、<新しい人生の始まり>をシリアス、かつユーモラスに描き出してみせたのである。 

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