永遠の僕たち
(2011年/アメリカ)

 冒頭、ビートルズの「トゥー・オブ・アス」が流れ、列車のスピードと共にポートランドの街の風景が映し出される。郷愁を覚えるような心地よさの先には、死と対峙する少年と少女のストーリーがある。
 交通事故で両親を失い、自身も臨死体験をした少年イーノックは一緒に暮らす叔母にも心を閉ざしたまま日常を送っていた。唯一の友だちは第二次大戦で戦死した特攻隊飛行士の幽霊ヒロシだ。彼は理不尽にも「殉国の情熱」のもと、恋人への手紙を出せずに命を落とした若者だった。イーノックは彼と戦艦ゲームや通過する列車への石投げに興じたりする一方で、見ず知らずの葬式に遺族のふりをしてのぞいて歩くのが趣味になっていた。
 ある日、彼が葬儀会場の係員に問いつめられ困惑していると、一人の少女が機転をきかせて救ってくれた。少女の名前はアナベル。アナベルとの出会いは、イーノックの心の扉がノックされた瞬間でもあった。
 ガンに冒され、余命3カ月のアナベルは新しい発見に心ときめかす快活な少女だ。ダーウィンに心酔し、鳥や虫たちを愛する。両親の死から立ち直れないイーノックに対して、死を受け入れ、自らの葬儀さえもプロデュースしようとするアナベル。二人は死を巡って対置しているが、互いに気が合うと察知し、新しい世界の始まりを感じ取ったのだ。
 二人が出会ったころのデートは病院の死体安置所だったり、墓地だったりするが、死にとらわれた<遊び>の象徴的なシーンがある。二人は地面に仰向けになり、イーノックが白いチョークで自分たちの形を描いていく。それはまるで殺人事件かなにかの現場保存のヒト型に書くチョーク線であり、とっさに二つの遺体を想起させる。しかし、俯瞰するカメラがとらえた手をつなぐ二人の姿は、たとえ世界からはみ出していても、いつもこうして一緒だと言っているようでもある。
 携帯やパソコンとは無縁の世界で、ベーシックなスタイルにアンバランスな要素を加味したファッション(とてもセンスがいい!)を身にまとって、イーノックとアナベルは残された時間を惜しむように、いや、いっしょにいるのが楽しくていろいろな遊びに夢中になる。そんな二人を幽霊のヒロシが見守っている。彼らは痛々しいのだけれど、どこか微笑ましくもあり、不思議と重苦しさは感じない。秋と冬のポートランドという限られた風景の中で、透明な時間を共有する青春が輝いて見えるのだ。
 イーノックはアナベルの葬儀の場で別れの言葉を探しながら、彼女と過ごした<現在の時間>をよみがえらせる。ニコの「美しい季節」が流れるそのラストシーンは鮮やかな余韻を残して美しい。イーノックの表情から、彼が抱えていた死への憎しみや喪失感が消えて見えたのは、アナベルとのリアルな出会いこそが、再生のはじまりを予感させるものだったから。過ぎ去った現在が永遠の現在につながっていくように......。

 イーノックを繊細に演じたのは、これがプロとしての映画初出演となったヘンリー・ホッパーで、2010年に他界したデニス・ホッパーの息子だ。若いころの父に面差しがよく似ている。アナベル役は『アリス・イン・ワンダーランド』でアリスを演じたミア・ワシコウスカ。いわゆる万人受けする美人顔ではないが、どこか中性的でエレガントで透明感がある。そして、ガス・ヴァン・サント監督と以前から交流のあったという幽霊役の加瀬亮も好演。監督は説明的な描写を避け、ただ静かに三人を見つめている。だからこそ、彼らは違和感なく映像に溶け込んでいるのだ。
 わたしはガス・ヴァン・サントが描いた少年たちの関係性(=友情)が絶妙なキャスティングで功を奏していた2本の作品を懐かしく思い出した。『マイ・プライベート・アイダホ』のリバー・フェニックスとキアヌ・リーブス、『グッドウィル・ハンティング』のマット・デイモンとベン・アフレック。そして、この作品では、イーノックとヒロシの関係、あるいはイーノックとアナベルの関係も恋というより、むしろ友情に近いように感じられたのだ。キャスティングにはさらにうれしい発見があった。アナベルの姉をシシー・スペイセクの娘、シュイラー・フィスクが出番は少ないが、いい味を出しているのだ。さらに、製作のロン・ハワードとともに彼の息子のブライス・ダラス・ハワードも名前を連ねている。ある時代に登場して活躍した人たちの二代目がこの作品に関わっていることも、アットホームな雰囲気を醸し出しているのだ。
 フィルムのラストに「デニス・ホッパーの思い出に捧げる」の言葉が添えられていたので、胸が熱くなったのだった。

*ミア・ワシコウスカは2012年夏『ジェーン・エア』が公開予定だ。過去に何度も映画化されている作品だが、ロチェスター役がマイケル・ファスベンダーがというのだから、俄然興味がわいてくる。

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