海炭市叙景
(2010年/日本)

 1990年に自らの命を絶った函館出身の作家、佐藤泰志の遺作の映画化で、函館市民によって企画され、東京からの参加キャストやスタッフたちとのコラボによって生まれた作品だ。
 帯広市出身の熊切和嘉監督の作品を観るのは、これが初めてだ。原作の18の短編から5つのストーリーを選び、函館がモデルの「海炭市」に生きる人々を、原作にほぼ忠実に描いている。人物の内面には深く入り込まず、寒々とした風景と、一見どこにでもあるような光景の中に、ストーリーを甦らせたのだろうか。

 造船所をリストラされた兄妹、立ち退きを拒む老婆、妻の浮気を疑う市職員、新規事業に失敗するプロパンガス屋の息子、市電の運転手の父親との溝を埋められない東京で働く息子、そんな登場人物たちの喪失感や不安、焦り、苛立ち、やるせない思いが、どんよりとした冬の空の下にただよう街の空気と共に伝わってくるのだ。
 函館といえば、観光地としての人気スポットが数多くあるが、この作品ではあえてそれらを映し出すことはしない。函館山から望む夜景ですら、初日の出を待つ時間帯に照準を合わせて本来の風景が映し出され、どこか絵画的である。
 リストラされた兄妹の兄を演じた竹原ピストルの演技が妙にリアルで、冒頭から胸にジーンときてしまった。また、プロパンガス屋の息子役の加瀬亮の暴力的な苛立ち演技に驚き、意外性を発見したのだ。製作費の関係上、出演者の半数はプロの俳優ではないが、みんなとても自然に映画に溶け込んでいて、なるほど市民参加の映画であるなと思わせるのだ。
 首都を離れて北海道の地方都市(正確には札幌は地方中枢都市と呼ぶらしいが)に戻ってきた人間として、ことさらこの映画にただよう街の閉塞感と、ここで生きていこうとするほのかな希望に似た感情を同時に抱いたのだった。
 音楽はジム・オルーク。登場人物たちの心情を煽るような音楽の多用はない。ラスト、静かに流れる音楽が5つの物語をつなぎ合わせてとても心にしみてきた。

 佐藤泰志がこの小説を書いていたころ、社会全体はバブル景気に浮かれていた。しかし、一方では疲弊していく地方都市の現実があった。彼は東京の国分寺に暮らしながら、生まれ故郷の函館に目を向けた。まるで時代に逆らうようにして、人々が小説に求めるニーズとは無縁のところで地味な作品をコツコツと書いていたのだ。映画では、登場人物に携帯電話を使用させていることから、時代設定は20年前ではないにもかかわらず、当時の地方都市が持つ閉塞感がそのまま現代社会に通底していて違和感がないのである。

 わたしは佐藤泰志には直接会ったことはないが、参加していた同人誌の仲間が知り合いだったので、仲間の口からポツリポツリと語られる佐藤泰志とその著書から、早熟な文学少年がやがて「生きることは書くこと」を信条に小説を書き続ける作家というイメージを勝手に作った。しかし、わたしが上京した3年後、彼は自死した。とてもショックだった。
 佐藤泰志は『新潮』新人賞候補、三島由紀夫賞候補、そして、芥川賞は5回も候補になっているが、いずれも受賞には至っていない。そのことと自死とは必ずしも相関関係にはないと言い切れないもどかしさをわたしは抱えてきた。精神の不安と闘いながら、書くことと生きること(生計を立てることを含めた)の狭間で、何度も経験する「芥川賞候補」は期待と裏切りを象徴する魔物だったのだろうか。しかし、たとえ大賞に巡り会えなくても、自分のために、読んでくれる人たちのために本を書き続けていれば、それは希望の光になったはず。などと詮無いことを考えたりもした。
 映画が公開されたことによって、佐藤泰志の名前は徐々に広まり、著作が復刊され、文庫本も版を重ねるようになった。そして、彼のドキュメンタリー映画も製作されるとのことだ。没後、21年、いつまでも佐藤泰志を忘れないでいる人たちの熱い思いがある。

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