警官の条件/佐々木譲


新潮社 1900円

 警察小説というジャンルがにぎやかである。佐々木譲はその中心的作家の一人だが、彼の仕事は歴史・時代小説、第二次大戦史を素材にした小説、経済小説、警察小説、そして、ノンフィクションと多様だ。わたしは20年前に『夜にその名を呼べば』を読んだきりだったが、東京から北海道に戻った翌年、同じ道産子だからということでもないが、『警官の血』を読んでみた。その骨太な長編小説がきっかけで、次から次へと新旧の作品をいろいろと読むようになり、気がつけば30冊を超えていた。
 戦後まもなくの東京谷中から始まる『警官の血』は、親子三代にわたって警察官となった3人の男の人生の陰影を描いた3部構成の作品である。直木賞候補、「このミステリーがすごい!」第1位、2007年の日本冒険小説協会大賞受賞、また、わたしは観ていないけれどテレビドラマ化もされた。
『警官の血』の面白さは犯人探しの謎解きストーリーはもとより、戦後の混乱期、昭和43年〜50年代、平成7年頃〜現代という三つの時代の世相を反映したような犯罪事件、父と子の警察官としてのスタンスや生き方を通して<警察の戦後史>としての側面も描かれているところにあると思う。安城家の一代目の清二は駐在所のおまわりさんを天職として勤務するなか、管轄の寺の塔が火事になり、そのどさくさで鉄道事故死する。二代目の民雄は北大に潜入入学して日本赤軍の監視をしているうちに精神を病み、復帰後は駐在所の巡査になるも管内で起きた事件で命を落とす。そして、三代目となる和也は組織犯罪対策部に配属され、暴力団とのつながりをもつ加賀谷警部の部下として彼を調査する一方、祖父と父の<不可解な死>の真相にも迫っていく。和也の働きによって上司の加賀谷が服務規程違反で身柄を拘束され、また祖父と父の死についての真実が明らかにされて、物語は完結したはずだったのだ。
 昨年9月に刊行された『警官の条件』は『警官の血』の続編である。なぜ、佐々木譲は続編を書こうとしたのだろうか。彼は『警官の血』の連載が終わったとき、「警察小説で書ける素材は全部出し尽くした。これ以上のものは書けないだろう」と思ったそうだ。ところが出版社の担当編集者が「続編、書きませんか? まだ、『警官の血』は完結していないでしょう。父と子の話。和也と加賀谷の話....」と続編を希望した。「それなら、書けるかもしれない。(編集者に)つい、乗せられてしまった」と続編の執筆に至る経緯を、同じ北海道出身の今野敏とのトークショーで語っていた(わたしはそれをネット上で知る)。2010年2月『廃墟に乞う』で直木賞を受賞した後、佐々木譲は「小説新潮」5月号から『警官の血』続編の連載を開始したのだ。
『警官の血』はベストセラー小説だ。続編を出せば、確実に売れると見込まれた。場合によってはシリーズ化も可能だ。作家をその気にさせて常に売れる本を世に送り出すのも、編集者の仕事なのだろう。
 さらに興味深いのは『警官の条件』が書店に並んだころ、絶妙のタイミングで稲葉圭昭著『恥さらし〜北海道警 悪徳刑事の告白』が講談社から出版されたことである。稲葉圭昭とは、2002年7月、覚せい剤取締法違反、銃刀法違反の容疑で逮捕された北海道警察の元警部だ。当時、わたしは東京でこのニュースを知り、大きなショックを覚えたものだ。この事件によって、道警のやらせ捜査や銃刀法違反偽証などの不祥事が明るみになり、翌年には道警裏金事件が発覚(元道警釧路方面本部長・原田宏二の告発による)。道警は9億6千万円を北海道と国に返還し、道民に謝罪した。日本の警察を震撼させる事件だった。
 稲葉は懲役9年の有罪判決を受け、刑期満了の2011年9月に『恥さらし』を上梓したのである。わたしは早速読んでみた。一線を越えてしまった稲葉の警察人生、腐敗した警察組織の実態が綴られた告白本は、ある意味で彼の<贖罪>でもあったのかもしれない。
『警官の条件』の刊行は、稲葉の出所と『恥さらし』の上梓に照準を合わせた格好となった。『警官の血』の第3部に登場した加賀谷警部こそが、稲葉をモデルにした人物だったからだ。そもそも佐々木譲は稲葉事件に触発され、そのエピソードを盛り込んで『笑う警官』(『うたう警官』改題)という道警を舞台にした警察小説に着手し、道警シリーズやそのあとに続く警察小説を書き続けてきたのだ。

『警官の条件』は、刑期を終えて出所した加賀谷元警部が復職し(現実にはあまり例のないことだと思うが)、安城和也とはライバルとして、麻薬組織ルートに参入する正体不明の犯罪組織の摘発に乗り込んでいくという展開だ。
 警部に昇進した和也が所属するのは組織犯罪対策部第一課であり、復職した加賀谷は第五課の特別捜査隊係長、それに加えて薬物捜査係と銃器捜査係といった細かいセクションが複雑に絡み合って捜査が進められていく。そのなかで、警察組織の暗部、たとえばキャリアとノンキャリアの差別、点数主義、エス(情報提供者)を使った犯罪組織との情報交換と違法捜査、内部犯罪に対する隠蔽体質と内部の組織間対立などが浮き彫りにされていて興味深い。そのあたりの克明な描写に、著者の取材力の大きさを感じずにはいられない。
 警察と暴力団とエスの三つ巴の物語の根底にあるのは、和也と加賀谷の目に見えないつながりだ。作中、二人が再会するといったからみはひとつもないのだが、それは佐々木譲の意図したことなのだろう。子どもの頃に父を亡くしている和也にとって、かつての上司・加賀谷の存在は、その捜査方法に疑問を抱きながらもどこかで心酔していた父親のような存在でもあった。また、加賀谷は和也の告発によって逮捕されたのだが、息子に対するような親心があったのだと思う。だからこそ、ラストに向かうにつれ、二人の心の動きが物語の底からわき上がってくるように感じられたのだ。
『警官の血』のラストと同じように、和也がホイッスルを吹くシーンは感動的だ。駐在所のいち制服警官として市民の安全を守ることを使命としていた祖父や父の遺志を受け継いだかに思える和也の姿。同時に加賀谷の気骨ある行動こそ、和也への無言のメッセージでもあったのだろう。こちらの耳にも届いてきそうなホイッスルの音が余韻を残した。
『警官の血』で描かれた親子三代にわたる「警官の使命とは?」「警官の条件とは?」といった問いかけは、『警官の条件』でようやく答えを見つけたのかもしれない。しかしながら、わたしは『警官の条件』を読んだあとに、本来『警官の血』は最初から全5巻ぐらいの大河小説を目指すべきだった、などと詮無いことを思ったのだった。

 蛇足になるが、相変わらず警察の不祥事は後を絶たず、警察官による条例違反や猥褻行為、公文書毀棄、裏金づくりなど小説のネタには事欠かない状況だ。
 2012年に入ってからもニュースで取り上げられた刑事事件だけですでに30件近く起きている。記憶に新しいところでは、2月に大阪府警の巡査部長が警察手帳偽造容疑で逮捕、3月に同じく大阪府警の警部補が飲酒運転書類捏造容疑で逮捕された。
 さらに4月には、岡山県警の警部補が元暴力団組長と共謀のうえ、警察官の車を損壊して逮捕されている。その岡山県警の警部補と元組長との交際は30年にも及ぶもので、警部補が年下の女性警官の態度が気に入らないと元組長にもらすと「いじめてやりましょう」ということになったらしい。
 一方では、元警察官が暴力団と見られる男に銃で撃たれて重傷を負う事件も起きている(4月19日)。暴力団対策部に所属していた元警察官は「特捜班長」として暴力団の捜査に従事し、退職後は暴力団に狙われる恐れがあり、県警の保護対象になっていたという。
       

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