55歳からのハローライフ/村上龍


幻冬舎 1500円

 タイトルだけ見ると、10年くらい前に同じ幻冬舎から刊行されたベストセラー『13歳からのハローワーク』という職業ガイドブックの類いかと勘違いしてしまうが、こちらは神奈川新聞をはじめとする地方新聞25紙に掲載された中編5編からなる小説集である。
 書店で手に取って最初のページに目を通したときは、まるで村上龍らしくないアプローチだ!と驚いた反面、彼も中高年の人生を書くようになったのかと感慨深くなった。
 50代半ばから60代前半の五人の主人公たちが自分の人生を振り返つつ、「再出発」を果たそうとする物語である。
『結婚相談所』は、離婚して4年、マネキンの仕事している58歳の女が先々の生活に不安を覚え、結婚相談所を通じて再婚相手を探す話。『空を飛ぶ夢をもう一度』は、小さな出版社をリストラされ、ホームレスになるのではないだろうかという恐怖におののく男の話。『キャンピングカー』は、早期退職後にキャンピングカーで妻と日本中を旅しようと思っていた58歳の男が、妻に反対されたあげく、娘からは「再就職したらいい」といわれ、第二の就職探しで厳しい現実を知って苦悩する。また、『ペットロス』は、夫との生活に距離感を覚えながら、飼犬に愛情を注ぐ妻の話であり、『トラベルヘルパー』は、古本屋で出会った50代前半の美しい女性に、老いらくの恋をしてしまう63歳独身の元トラック運転手の話だ。
 五つの物語には、主人公とキーパーソンになる人物との出会いが描かれる。たとえば、再婚相手を探す女は相談所から紹介された男たちに会うも失望を味わうばかりだったが、ひょんなことから息子ほど年の違う失恋したばかりの男と出会い、映画『ひまわり』の話をするうちに、それまで見えていなかったものが見えてくるようになる(『ひまわり』についての考察もいい)。あるいは、リストラされた男は、ホームレスになっていた小学校時代の同級生と偶然再会し、記憶の底に眠っていた懐かしい時間を思い起こし、同級生の願いを叶えるために奮闘する。そうした出会いには目には見えないがパワーが潜んでいるのだろう。主人公たちの冷えきっていた心をじわりと溶かし、温かくさせるのである。

 細やかな取材を重ねたことが推察される。職業や生活についてつぶさに語り、シチュエーションやエピソードの数々にはリアリティがあり、たとえば、老後の生活についての安心と不安を、まず具体的な数字で確認する。マネキンの仕事は15万円、家賃と光熱費で4万円弱だが、年金はないに等しく、400万円の慰謝料も半分に減ってしまったために再婚を目指すという発想。また、1000万円のキャンピングカーを買ったとしても、残りの預貯金3000万円と年金があれば悠々自適の老後を過ごすことができるという目論みも「子どもたちの結婚資金にとっておきたいと」いう妻の考えが優先されてしまう、といった具合にそれぞれの金銭感覚が浮き彫りにされる。なるほど、こちらの頭の中にも個人的な数字が浮かんできて、不安にかられたりするのだが.....。

 乾いた文体であるにもかかわらず一つひとつの物語に奥行きを感じるのは、主人公たちの人生が映像のように目の前に広がって見えるからだろうか。読みながら、あの映画、この映画のワンシーン(『真夜中のカーボーイ』や昨年公開された『ドライヴ』など)を連想したりして、わくわくした。
 主人公たちの習慣や嗜好なども細かく描写。元トラック運転手が松本清張作品を愛読しているというのが、何とも微笑ましく感じられた。特徴的なのは、どの話にも彼らが愛飲する飲み物が登場することだ。紅茶のアールグレイ、おいしい水、プーアル茶、コーヒー、そして日本茶。それを飲むことで、彼らは安らいだ気分になるのだ。
 ハッとするディテールの数々にときどきクスッとしたり、心情の変化にホロッとしたりと、村上龍の豊かな表現力に驚かされたのである。

 50代も半ばとなると、それまでの生きてきた時間がくっきりと見えてくる。老後の生活への不安もつのってくるだろう。それは中高年に限らず、特に先の見えない現代社会においては、若年層もさまざまな不安を抱えて生きている。
 思えば、わたしが21年間の東京生活を終えて、札幌に戻ったのも55歳の冬だった。東京から遠く離れたが、寂寥感といったものはなかった。生活が一変したからだろう。環境の変化と時間の経過は人を変えていくのだと思う。老化を意識せざるをえない身体に加えて、10年後、さらに生きて10年後の自分はどうなっているのだろうかと不安にもなるが、それを中和してくれるのが人とのふれあいだったり、意外な出会いだったり、自然の恵みだったりする。
「人生でもっとも恐ろしいのは、後悔とともに生きることだ」という思いに至る『結婚相談所』の主人公をはじめ、それぞれの主人公たちに、エールを送りたくなった。ついでに、この自分にも.....。
 現実を受け入れ、いまの自分を認めたとき、先の人生の意味に気づかされる。ハッピーエンドではないかもしれない。そう、エンドではなく、再出発の第一歩があるのだ。『トラベルヘルパー』のラスト、元トラック運転手のエーモショナルな行動に、わたしはポンと弾ける音を聞いた。それは五つの物語のラストを飾るのにふさわしい象徴的な再出発の音のようだった。ハッピーライフではなく、やはりハローライフなのだった。

『55歳からのハローライフ』には、近未来社会も若者の破壊衝動も戦争もない。世界の動きを見据え、日本の未来図を反社会的に描くことが多かった村上龍が、これまでの世界とは違ったアプローチで、普通の人々の人生に目を向け、過去から明日へと希望をつなごうとする彼らの姿をあぶり出してみせた。 村上龍はあとがきで、「信頼という言葉と概念をここまで意識して小説を書いたのもはじめてのこと」だとして、主人公たちにはこれまでにないシンパシーを覚え、彼らに寄り添いながら書いていったという。
 彼がこの一冊で新境地を拓いたことになるのかどうかはわからない。一昨年の文藝春秋6月号から連載中の『オールド・テロリスト』という作品があるからだ。わたしは第4回くらいまで読んだが、母が購読しているので、つい読みそびれてしまい、やはり、連載よりも単行本になってから一気に読んでみたいと思う。老いたテロリストの人生を見届けたい。
 
 

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