まほろ駅前多田便利軒/三浦しをん
仏果を得ず/三浦しをん


双葉文庫600円    文春文庫570円

 母と書店に入ったときのこと。平積みになっていた三浦しをんの『ふむふむ、おしえてお仕事!』という単行本を手に取った母が「これ、新聞の広告に出ていた本だわ」と買い求めた。少しばかり、意外な気がした。
帰宅後、さっそくそれを読もうとする母にわたしは聞いた。「三浦しをん、知ってたの?」と。すると、母は「曾野綾子の旦那さんでしょ」と答えた。わたし、大いにのけぞった。「それは三浦朱門。しをんは女性」。呆気にとられた母は恥ずかしそうに言った。
「ま、これ面白そうだから読みます」
 ちなみに、『ふむふむ、おしえてお仕事!』は様々な仕事につく女性たちに三浦しをんがインタビューしたものだ。
「みうらしをん」と「みうらしゅもん」。なるほど、ひらいて音にすれば少し似ている。曾野綾子氏は元気そうだけれど、朱門氏はどうしているのだろうか。

 その三浦しをんの作品を2冊、続けて読んだ。映画を見逃したこともあり、気になっていた『まほろ駅前多田便利軒』と、タイトルにひかれた『仏果を得ず』である。
『まほろ駅前多田便利軒』は平成18年度上半期の第135回直木賞受賞作品だ。東京のはずれに位置する「まほろ市」を舞台に、便利屋を営む男とそこに転がり込んで来た元同級生の二人を軸にした人間模様が軽妙なタッチで綴られた作品だ。
 二人の男は他者とはあまり関わりをもちたくないというような雰囲気を漂わせているが、そこは便利屋、依頼されれば、大抵のことは引き受けてしまい、気がつけば、けっこう深く他者と関わっていたりする。仕事上の親切心を発揮して、面白い。あえて、主人公の仕事を便利屋という設定にしたのも、作者の意図したところなのだろうけれど。
 さらに、この二人の男、ぶつかりながらも、それぞれがもつ過去のつらい記憶、封印していた出来事を甦らせていくのだ。そのために出会ったようなものだ。だから、リアルタイムを描きながら、徐々に過去の時間へと向かっていく様がとてもスリリングだ。人々の支え合う姿をさらりと、人生の哀歓もさらりと、巧い。
 映画では便利屋を瑛太、転がり込んできた男を松田龍平が演じている。二人ともははまり役だと思う。
ちなみに、「まほろ市」は町田市がモデルになってるようだ。

『仏果を得ず』のほうは打って変わって人形浄瑠璃・文楽の世界。『あやつられ文楽鑑賞』というエッセイを出すほどの文楽愛好家の著者がついに小説として、その世界を広げた。まるで自分が新人の太夫になったつもりで書いたのではないかと思われるほど、全体が臨場感にあふれている。格好の題材を選んだものだと、この作家のセンスに感心してしまう。
 高校時代の文楽鑑賞体験で文楽に心を奪われ、文楽の世界に飛び込んだ若い太夫の成長を、ユーモラスかつスリリングに描いた青春物語だ。
 主人公・健を取り巻く脇のキャラクター設定が面白い。「遊びは芸の肥やし」が信条の80歳になる人間国宝の銀太夫、健の相三味線で腕はピカ一だが変人という「芸道の鬼」の兎一郎、銀太夫の相三味線の亀治。さらに、健は義太夫指導にいっている小学校の生徒、ミラちゃん(小学3年生)に惚れられ、その母親と恋人関係になってしまう(母子家庭なので夫はいない)という展開も用意されている。
 8章からなる作品の醍醐味は、各章が「女殺油地獄」「心中天の網島」といった8つの演目できっちりと構成されており、健太夫がそのひとつひとつへの理解を深めながら取り組んで行くところにある。男女の機微について考え中の健太夫の心情を通して演目が解釈されているので、こちらは文楽の基本を知りながら?よりリアルな世界が堪能できるというわけだ。文楽を観に行きたくなってしまうのだ。
 物語の展開、人物描写、台詞、どれをとっても遜色なく、読み手を文楽の世界へと誘ってくれる超一級のエンターティメント小説なのである。 「よく、こんなに面白く書けるわね」と大いに感動した母など、しばらくの間、この文庫本を枕元に置いて寝ていたくらいだ。
 個人的な話になるが、わたしが初めて文楽を観たのは30年以上前のことだ。日本酒を少々飲みながらお寿司をごちそうになったあと、会場に行ったのが悪かった。つい居眠りをしてしまったのだ。終わったあと、誘ってくれた人に「気持ち良さそうに寝ていたね」と言われ、穴があったら入りたいほど恥ずかしくなったことを覚えている。
 ちなみに、「仏果」の意味は、仏道修行の結果として得られる成仏という結果。この物語においては、「芸の極みからいえば、まだまだ未熟である」といった意味になるのだろう。

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