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  66 古い賛美歌集と詩集。 : keity10月16日(火)17:04  [レス]  [削除]
母が札幌の教会に通っていたころの賛美歌集は表紙がはずれ、中身も茶褐色。詩集も同様。母と詩集がどうも結びつかなかったので、生前、何気なく聞いてみたことがある。「ゲーテの詩はいいなあと思って....」という答えだった。字音仮名遣い。いずれも人生社という版元で、昭和24年の改訂版だ。訳者が松山敏。彼について検索してみたら、本名は松山悦三で、戦後は筆名の敏で執筆し、翻訳もある。没年は不明。いろいろ調べていたら、詩集はいずれも昭和17年が初版ということがわかった。こんなことをしているとなかなか、整理は進まないのだけれど、面白いのでついつい.....。

ゲーテは中学生のときに「若きウェルテルの悩み」を読んだものだった。詩劇「ファウスト」、全集から引っ張りだして読んでみようかと。これもまた屋根裏にあるので、多分、小さな虫がついているだろう。虫干しをするか、殺虫剤か。それより、世界文学全集をどうするかが問題だ。そもそも昭和40年代に出版された全集など、周囲には読む人がいないようなので、アジアや中近東あたりの珍しい?巻だけ残して資源ゴミに出そうか。いや、残しておいても読むだろうか、自分。全集だけでなく、本はさらに処分していかないと、引っ越しのとき大変だ。などと、思案。

  65 父の古いノートなど....。 : keity10月16日(火)15:12  [レス]  [削除]
屋根裏に、父の大学時代や会社員時代の仕事に関するノート数十冊を束ねたものがいくつもあった。普通、引っ越しを契機に処分するような物たちだが、父は捨てられずにいて、そのうち忘れてしまい、生前に整理することも思いつかなかったようだ。
以前、作家の大御所がテレビで「断捨離とかいっているけれど、ぼくは捨てることはないと思う。何十年も経ってからそれらを見つけるとホッコリするんですよ。だから、物はとっておいたらいいんです」と言っていた。
父は何十年経っても見ることも手に取ることもなかったので、ホッコリすることもなく、それらは束ねられたまま何度も移動しても押し入れや屋根裏の片隅で眠っていたわけだ。

ノート数冊を撮影し、大半は処分するしかなかった。さて、父の日記帳をどうするか。父は現役時代、ビジネス手帳は別にして日記をつける習慣はなく、退職してからつけていたようだ。わたしは友人に親の日記のことを聞いてみた。「母親の日記帳は何十冊もあり、読むのも憚られたのですべて処分した」とのことだった。自分の日記帳は一年以上前に処分してしまったのだが.......。

日記帳といえば、母は父と一緒に日記帳を買っていたが、年末まで続けたことはない。毎日つけたのはせいぜい1月ぐらいで、その後は、気が向いたときにポツポツと。父は、その日の出来事や事象についての見解などを整然とびっしりと書き込んだ。誰かに読まれることを想定して書いたのではないかと思うほどで、少々きざにも感じられて恥ずかしい。
それに比べて、母の日記帳はだいたいが1、2行だけ。父の死後のある年の日記帳をパラパラめくっていると、「探し物が見つかりました。お父さん、ありがとうございます」という文章。また、あるときは「主人は、ほとんど愚痴を言わない人だったと感心する」とある。日付を見ると父の月命日だった。母らしいなとホッコリすると同時に、少しばかりしんみりしてしまった。

写真の整理もしなければならない。昔の写真とか、軍服姿の父の写真とか、どうしようかと悩むようなものは後回しということで.....。

  64 新芽が出た! : keity10月12日(金)16:52  [レス]  [削除]
ウンベラータの茎を見てみたら、なんと新芽がふたつ出ていた。
ヘアサロンの店主が言ったとおりだ。先端は枯れているのに、丈夫なのね。
戸外では枯れていく草木が多いこの時季に、室内で新芽を発見できてうれしく思う。

かな書道、連綿体は難しいけれど面白い。
食卓テーブルに書道セットを置いておき、日に数回、練習をする。集中すると昼食もとらずにあっという間に時間が経ってしまう。母もそうだったらしい。
遅い昼食をとってから、テレビをつけてBSを見てみると、小津安二郎の「東京暮色」だった。後半の1時間を観てしまった。あまり評価されなかった作品で、ユーモアのかけらもなく、家族の崩壊が描かれ、ずしんと重くて暗いテーマ。
ここでもラスト、笠智衆は一人残されてしまうのだった。

  63 おまけ。 : keity10月11日(木)22:15  [レス]  [削除]
2週間前の大通公園の噴水の池。可憐な落ち葉。
今はもう庭の紅葉もずいぶん落ちてしまったなー。

そして、我がウンベラータはとうとう茎だけになってしまったが、ときどき水やりはしていた。
そもそもウンベラータを育てたいと思ったきっかけは、通い続けている近くのヘアサロンで見つけて気に入ったから。
先週、お店に行ったとき、店主に「ウンベラータ、地震の揺れで落っこちてどんどん葉が枯れて、いまでは茎だけになってしまいました」と告げたところ、「大丈夫。ウンベラータはとても強いので、待っていれば、葉が出てきますよ」とうれしい返答。彼女はとっても博識なのだ。いろいろな疑問を解決?してくれるのである。
店主の言葉を信じて、ウンベラータの茎をじっと観察するこのごろ。あまり見つめると、恥ずかしがって出てこないかもしれない。ちらっと見るだけにしよう....。

  62 築地市場は去ったけれど..... : keity10月11日(木)21:51  [レス]  [削除]
豊洲市場が本日開業したが、ニュースなどを見ると、いろいろな課題も出てきて、これから大変だろう。生まれ変わったブランドとして頑張ってほしいと思う。
築地の場外市場はそのまま残ったが、肝腎の市場が消えたことで、今後、どう変わっていくのだろうか。
わたしにとって、特に場外市場は思い出深いところである。タウン誌の編集や取材をしていた関係から頻繁に足を運んだものだった。当時から場外市場では、市場の移転を踏まえ、未来へ向けた町づくりを目指していた。
先日、場外市場の鮭専門店・昭和食品で働く佐藤友美子さんから著書を恵贈いただいた。『築地ー鮭屋の小僧が見たこと聞いたこと』。7月に築地で会ったときに執筆中と聞いていたが、市場の移転に合わせ、かなり急ピッチで出版に漕ぎつけられたのだろう。
佐藤さんはフリーライター時代に築地見物をしてその魅力にとりつかれ、場外市場の鮭屋さんでアルバイト。それが縁で鮭屋さんで働くこと30年。
本書は、築地で見たこと、聞いたことを臨場感あふれる筆致で描いている。さらに、築地の歴史にもふれ、また、鮭はもちろん、さまざまな魚を河岸で買い求めては調理するという楽しみをも伝えるものである。
わたしは佐藤さんには大変お世話になった。築地の情報や興味深い人物を紹介してくれたし、魚のおいしい店にも連れて行っていただき、お酒も飲んだ。いろいろな話をして、その度に佐藤さんは本当に築地、そこで働く人たち、そして魚たちが好きなのだなとうれしく思った。私のようなよそ者が築地を取材するというのは、おこがましくもあったが、佐藤さんのおかげもあり、楽しく取材させてもらったのだった。

『築地の記憶』(2016年5月刊行)は築地市場に勤務していた富岡一成さんの文と、河岸の文化に魅せられ、2012年から築地市場の撮影をしている写真家のさいとうさだちかさんの写真で構成された記憶と記録の本だ。7月、コーヒーショップ・ヨネモトの店主から「富岡くん、本出したんだよ。知ってた?」と聞かされ、築地の書店で買い求めた。佐藤さんの著書とは違い、こちらは客観的に築地市場をとらえている。そうはいっても、富岡さんも市場に魅せられた一人である。歴史にも魚にも精通していて語り口は熱く、ときどき噺家っぽくなって、読んでいるといろいろ発見があって面白い。
そういえば、佐藤さんから富岡さんを紹介され、酒席を共にしたこともあったのだった。
築地から遠く離れて10年余。市場は豊洲に移転してしまったけれど、こうして築地に愛情を注いだ二人の本に出会えてうれしい。

  61 映画感想。 : keity10月02日(火)23:15  [レス]  [削除]
「愛しのアイリーン」@ディノスシネマズ
室蘭出身の安田顕が主演というので気になっていたこの映画。タイトルに似合わず、ポスタービジュアル(左の画像は、パンフレットの一部)のほうは大変インパクトがあり、一筋縄ではいかないような物語を想像させる。原作の漫画は読んだ事ことはないが、映画の内容については浅く知っていた。しかし、実際に観てみると、これが凄かった。
感想を書き出すととんでもなく長くなりそうなので、ほどほどに。
舞台は地方の山村。パチンコ店で働く岩男は40歳独身、年老いた両親と暮らしている。無口で無愛想、人付き合いも悪く、女性とつき合ったこともない。鬱屈した日常は彼の不機嫌な様子からも伺える。母親のツルはなんとか結婚してもらいたいと縁談をすすめるがうまくいかない。
そんな岩男が貯金300万円をはたいてフィリピンのお見合いツアーに参加して、半ば自暴自棄で現地で結婚式をあげ、18歳のアイリーンを連れて帰宅する。折しも父親の葬式という間の悪さ。母親ツルにしてみると、いきなり外国人の嫁が現れ、さらに無邪気に振る舞われて、怒り心頭。猟銃を持ち出してアイリーンに突きつける。ここから、岩男とアイリーンとツル、三者三様の思いが錯綜し、暴走が始まる。「そうはいっても、ラストはどうにかハッピーになって希望が見えてくるのでしょう?ハリウッド映画みたいに」というのは、甘い。恋愛成就なし。かといって悲恋でもない。そもそも<愛>って何?と問い返したくなる。しいていうなら、それぞれの片思いのような<愛のようなもの>が三人を駆り立て、暴走させたのか、ということだ。意表をつくラスト20分あたりから不覚にも涙した。夏景色から一変する雪景色はすべてを浄化するものだったのか。劇中、いわゆる放送禁止用語が自然にポンポン飛び出すが、それらむき出しの言語はなるほどここでは的確なのだなと思ってしまう。
安田顕はすべてをさらけ出し、岩男になりきっていた。これは彼にしか演じられない役だろう。そして、木野花の母性の暴走演技は鬼気迫るものだった。

土曜日の観客は、1回目終了時に出て来た人を数えたら6人(うち中高年の女性1名)という少なさ。そして、わたしが観た2回目の上映にいたっては、たったの3人で、女性はわたしだけだった。時代のせいなのか、この手の映画を観る人は少なくなっているのだなと思った。「カメラを止めるな!」は相変わらず、大入りのようで....。メディアで大々的に取り上げられると、火がつくのだね。「万引き家族」もカンヌで賞をとらなければ、ロングランにはなっていなかっただろう。わたしはまだ観ていないのだが,,,,,,。
あらら、ほどほどにしようと思っていたが、少し長くなってしまいました。

  60 枯れてもあじさい。 : keity09月21日(金)15:15  [レス]  [削除]
先週、剪定をしてもらった。
「枯れたあじさいも風情があるので、もしよかったら、このまま残して、剪定は冬囲いのときでもいいかなと思って...」と言ってくれた女庭師さん。
枯れても、あじさい。
いぶし銀の、あじさい。
最後まで、あじさい。
頑張れ、あじさい。
ウンベラータも頑張れ。


  59 ウンベラータが。。。。。 : keity09月21日(金)15:08  [レス]  [削除]
葉っぱが枯れて3枚が落ち葉に。残るはあと二枚。先端部が折れたのだろう。枯れている。そこが枯れては成長できない。地震で鉢ごとおちたときに傷めてしまったのだろう。
なんとか、救済したいと思うのだが.....。
ようやく見つけて手に入れたウンベラータだっただけに、こんなことになって、残念。
縁がなかったのか....。まだ、あきらめるのは早いのだけれど....。

  58 市民ギャラリーへ。 : keity09月21日(金)14:10  [レス]  [削除]
友人の水彩画が展示されているというので、道彩展(北海道水彩画会)へ。会員・会友73人、一般57人。展示数130点。道彩展賞や知事賞、市長賞など受賞者22人。遠目からでもすぐに友人(一般)のそれとわかった水彩画は入選。やはり、青を基調としていた。
受賞作品はそれぞれに素晴らしかった。わたしがいいなーと思ったいくつかの作品は受賞作ではなかったけれど。。コラージュも何点かあり、水彩画とは思えない質感。なかなか見応えのある展覧会だった。

2階では、無審査の公募展、北日展(北海道日本画会)が開催されていて、そちらも鑑賞(ここでは撮影禁止)。一見すると、東山魁夷の山の絵の構図に似た風景画.......。よく観ると、樹木の点描がプロ並み?だなと思っていると、その日の当番?の男性が声をかけてきた。「この方はプロなんですよ」とのこと。そこで、立ち話。日本画を始めて30年という当番者は絵画教室の先生でもある。北日展は、習い始めて1年の生徒でも展示できるのだそうだ。当番者の男性が知り合いの美術記者に「取材するばかりでなく、自分も描いてみたら」と勧めたところ、スケッチブックに水彩絵具で風景画を三点描き、額装して展示。絵筆をとって真剣に楽しく描写している様子が伝わってくる。素朴だけれど、ケレン味のない温かな絵。そのようなことを伝えると、「あなたも日本画を習ってみませんか」と言われた。「書道を始めたばかりなので.....。岩絵具はないけれど、水彩絵具を持っているので、家で水彩を描いてみます」と答える。日本画か.....。その展示会に、東山魁夷の「たにま」という作品と色も造形も似た絵があった。きっと、憧憬の表れなのだろうと、勝手に推察。

*画像の左の絵が道彩展賞を受賞。タイトルは「イルミネーション」

市民ギャラリーを出て、地下鉄に乗って東急百貨店へ。<おかわかめ>をいただいた書道教室の生徒さんとばったり会った。札幌は狭い。鮮やかなグリーンのロングフレアスカートに、白とグレーのボーダー柄のショート丈の七分袖カットソー、首にネッカチーフ、黒のフラットシューズ。髪型はシニヨン。痩身なのでよく似合い、まるでオードリー・ヘップバーンのよう。年齢はわたしよりも上なんだけれど、まったく違和感がない。素敵である。

  57 地震から一週間。 : keity09月13日(木)15:44  [レス]  [削除]
今日の未明にも余震があり、飛び起きた。余震のたびにビクッとしてしまう。厚真や安平のほうはもっと大きな余震なのだろうと思うと、何ともいえない気持ちになってくる(地震の10日前、安平へハスの撮影に行ったので、心配になる)。

あの日は本を読み終えて目が冴えてしまい、2時すぎからテレビで富士山の映像を観ていた。小一時間したところで、ドッスーンときて、いきなり停電。ひざまずきながら手探りでアーチ壁まで進み、それにしがみついた。激しい揺れの中、ガラガラガッシャーンの音。ようやく揺れがおさまったところで、また手探りでテレビの横に置いてあるはずの懐中電灯を探したが、ない。そのまま這って仏間まで行き、仏壇の下の押し入れに太いロウソクを探し、チャッカマンで点灯。花瓶が倒れて畳は水浸し。母の写真立てが濡れていたので、中身を取り出しタオルで拭く。
ロウソクの灯りが頼りだった。携帯に市内の弟から「大丈夫?」の声。しばらくして友人からも電話がきて、少し話す。そんな地震の中でも朝刊は4時には届けられた。
明るくなってから、キッチンを見たら、オーブントースターが落ち、吊り棚からボールやザルなどすべてが落ちていた。
母の部屋に行くと、本棚の物がいろいろ落ちていたし、ウンベラータの鉢も転がっていて、葉っぱが一枚折れていた。
二階の部屋は、これまたいろいろな物が落ちて散乱。チェストが倒れて引き出しがすべて飛び出している状態。除湿器も倒れていた。
納戸も見たら、これまた物が落ちていて、剥製のキジの羽も折れていた。
懐中電灯とラジカセが母の部屋にあってホッとした。そして、ふと思い出した。昨年、中近両用メガネを買ったときにもらった小さなLEDスタンドがあることを。納戸にその箱を探すと出てきた。
こうして、日没後の闇を迎える準備ができた。食事は停電で自然解凍されていた豚肉を使って肉じゃがを作り、冷蔵庫の中の青物野菜も摂った。電話もメールもまったくできなくなり、情報源はラジオのみ。

停電が解除されたのは翌日の午後10時ころだ。洗面所の窓に外灯のオレンジ色が映っているのを見たときは、本当にうれしかった。携帯も使用できるようになり、メールをチェックするとダーッと流れる。「大丈夫?」という東京からの友人知人親戚、弟。「こちら5時に電気ついた。何度も電話しているけど、大丈夫? 転んで動けなくなっているのではないかと心配」と市内の弟。電気復旧は、この辺りが一番遅かったようだ。
<あ、また、今、余震が。。>
さらに翌日の土曜夜から、腹痛に。白湯でやり過ごし、月曜日に近くの内科へ。「以前、憩室炎になった」と伝えると、老医師は穴があいて出血することもあるので、抗生剤を出そうと言い、そのあと胆石かもしれないとも言い、何とも頼りない。結局、CT検査はしてもらえず、抗生剤と鎮痛剤を飲み続けているうちに痛みは軽減された。

先ほど、納戸のはしごを恐る恐る上がって屋根裏を見たら、いやはや、整理して積み上げていた本が崩れて山になっていた。片付ける元気なく、そのままに。

つい、長くなってしまいました。

それにしても、今回の全域停電を「想定外」とした北電には愕然としてしまった。
いまなお、厚真や安平方面、札幌など5市町で、停電や断水が続き、避難が長期化している。一日も早い復旧を願うばかりです。
*画像の3点セットが心強い味方だった。

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