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  75 『日日是好日』を観る。 : keity10月28日(日)17:56  [レス]  [削除]
<コメント欄の74に文字だけ書き込んで試しにアップしてから、あらためて75に新規のものをアップ。大通公園の紅葉は、ボツということで・笑>

行くかどうしようかと、少し迷っていたが、結局、「観てみたい」ということで友人とシネマフロンティアへ。

エッセイストの森下典子が大学生のときから20年に渡って通った茶道教室の日々を綴った自伝エッセイが原作である(わたしは原作を読まずに映画を観て、その帰りに読みたくなって文庫本を購入)。

冒頭から、単調で静かな淡々とした映像世界に引き込まれっぱなしだった。
主人公の典子(黒木華)は母親から「お茶習ったら?」と言われ、従姉妹(多部未華子)と一緒に、<武田のおばさん(樹木希林)>の家に週一回、通い始める。帛紗(ふくさ)のさばき方から始まり、棗(なつめ)や茶杓、柄杓の扱い方など、お薄を点てるまでの一連の所作を観ているうちに、かつて茶道教室に通っていた自分の二十代のころが甦った。

わたしも主人公と同じように母から「お茶を習いに行ったら」と言われ、しぶしぶ母の従姉妹が開いていた茶道教室に通った。あれは23歳の秋だった(映画の時代背景とほぼ重なる)。母のほうは室蘭にいたときにすでに茶道を一通り習っていたので、娘のわたしにも習ってほしかったのだろう。花嫁修業(これ死語・苦笑)として....。
最初のうちは主人公と同様、訳が分からず、先生の指示通りに動作を続けるも、茶杓や柄杓を持つ手は震えるは、立ち上がろうとすると足のしびれでふらつくはで、とても疲れた。しかし、徐々に集中できるようになり、不思議と落ち着いたゆったりとした気分になったものだった。

映画は、四季折々の風情などを交えながら、茶道を通して成長していく主人公の姿がとても丁寧に繊細に描かれている。降り止まない雨を嫌だなと思っていたのが、いつのまにか耳を澄まして雨の音を聴くようになり、また季節の花が咲くと、その生命の美を慈しむようになっていく。時の移り変わりの中で、淡々と過ぎて行くようにみえる日常も五感を研ぎすませると、味わい深いものになっていくのだろう。
茶道に由来する<一期一会>。本作を観に行ったことも、それなんだなと.....。

映画のラスト近く、典子の父親(鶴見辰吾、出番は少ない好演)が逝ってしまうのだが、「父は4月5日に亡くなった」というナレーションを聞いて、びっくりした。何の偶然か、わたしの父が逝った日と同じだった。当時、東京にいたわたしにとっても、「桜の花が咲くころ、花びらが舞いおちるころ、父は逝った」のだった。
台詞のひとつひとつが心にしみた。父と母が言った何気ない言葉たちと重なったりして、いやはや、予感はしていたが、涙が流れた。友人も4年前に亡くなったお父さんのことが甦ってきたという。

お茶の先生を演じた樹木希林、とても自然でいい。わたしは彼女の映画を観たという記憶があまりない。どこかで敬遠していたのかもしれない。ここでは、演じるのではなく、自然に<武田のおばさん>になってしまっている。茶室の調度品も畳も床の間の掛け軸も樹木希林と同化している感じ。
茶道というと、ピンと背筋を伸ばすイメージがあるが、決してそうではないと思う。胸を張らず、肩の力を抜いて少し腰を落とすイメージに近い。樹木希林の姿は侘び寂びに通じるような枯淡の美しい姿勢だったなーと感じ入ったのだった。合掌。

観客の入りは8割強。金曜日の昼だったので、その9割は60代、70代の女性たちだった。


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