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発言番号57
名 前keity
タイトル地震から一週間。
コメント今日の未明にも余震があり、飛び起きた。余震のたびにビクッとしてしまう。厚真や安平のほうはもっと大きな余震なのだろうと思うと、何ともいえない気持ちになってくる(地震の10日前、安平へハスの撮影に行ったので、心配になる)。

あの日は本を読み終えて目が冴えてしまい、2時すぎからテレビで富士山の映像を観ていた。小一時間したところで、ドッスーンときて、いきなり停電。ひざまずきながら手探りでアーチ壁まで進み、それにしがみついた。激しい揺れの中、ガラガラガッシャーンの音。ようやく揺れがおさまったところで、また手探りでテレビの横に置いてあるはずの懐中電灯を探したが、ない。そのまま這って仏間まで行き、仏壇の下の押し入れに太いロウソクを探し、チャッカマンで点灯。花瓶が倒れて畳は水浸し。母の写真立てが濡れていたので、中身を取り出しタオルで拭く。
ロウソクの灯りが頼りだった。携帯に市内の弟から「大丈夫?」の声。しばらくして友人からも電話がきて、少し話す。そんな地震の中でも朝刊は4時には届けられた。
明るくなってから、キッチンを見たら、オーブントースターが落ち、吊り棚からボールやザルなどすべてが落ちていた。
母の部屋に行くと、本棚の物がいろいろ落ちていたし、ウンベラータの鉢も転がっていて、葉っぱが一枚折れていた。
二階の部屋は、これまたいろいろな物が落ちて散乱。チェストが倒れて引き出しがすべて飛び出している状態。除湿器も倒れていた。
納戸も見たら、これまた物が落ちていて、剥製のキジの羽も折れていた。
懐中電灯とラジカセが母の部屋にあってホッとした。そして、ふと思い出した。昨年、中近両用メガネを買ったときにもらった小さなLEDスタンドがあることを。納戸にその箱を探すと出てきた。
こうして、日没後の闇を迎える準備ができた。食事は停電で自然解凍されていた豚肉を使って肉じゃがを作り、冷蔵庫の中の青物野菜も摂った。電話もメールもまったくできなくなり、情報源はラジオのみ。

停電が解除されたのは翌日の午後10時ころだ。洗面所の窓に外灯のオレンジ色が映っているのを見たときは、本当にうれしかった。携帯も使用できるようになり、メールをチェックするとダーッと流れる。「大丈夫?」という東京からの友人知人親戚、弟。「こちら5時に電気ついた。何度も電話しているけど、大丈夫? 転んで動けなくなっているのではないかと心配」と市内の弟。電気復旧は、この辺りが一番遅かったようだ。
<あ、また、今、余震が。。>
さらに翌日の土曜夜から、腹痛に。白湯でやり過ごし、月曜日に近くの内科へ。「以前、憩室炎になった」と伝えると、老医師は穴があいて出血することもあるので、抗生剤を出そうと言い、そのあと胆石かもしれないとも言い、何とも頼りない。結局、CT検査はしてもらえず、抗生剤と鎮痛剤を飲み続けているうちに痛みは軽減された。

先ほど、納戸のはしごを恐る恐る上がって屋根裏を見たら、いやはや、整理して積み上げていた本が崩れて山になっていた。片付ける元気なく、そのままに。

つい、長くなってしまいました。

それにしても、今回の全域停電を「想定外」とした北電には愕然としてしまった。
いまなお、厚真や安平方面、札幌など5市町で、停電や断水が続き、避難が長期化している。一日も早い復旧を願うばかりです。
*画像の3点セットが心強い味方だった。
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